日本と炭酸飲料の歴史
炭酸水と著名人

カテゴリー: その他炭酸の活用法

炭酸水の歴史についてはこちらのサイトで既に掲載済みですが、日本に炭酸飲料が出始めの頃、どんな著名人が飲んだのでしょうか?
今回はこのあたりをクローズアップしてみたいと思います。

日本と炭酸飲料の歴史 日本の炭酸飲料はいつできた?

さわやかな飲み物

炭酸飲料と文豪

まずは、明治文豪の代表・夏目漱石。

1909(明治42)年ごろ、胃病に苦しんだ夏目漱石は当時「平野水」と呼ばれた炭酸水をよく飲んでいたそうです。平野水については小説『行人』、随筆『思ひ出すことなど』、『硝子戸の中』に描かれております。漱石は平野水を薬の代わりに近い形で飲用していましたが、今の消化器のお医者様なら胃腸の調子の悪い方に炭酸水をオススメしないでしょう。平野水(炭酸水)を飲んでスッキリしたから素晴らしい作品が生まれたのか、もし炭酸水を飲まなかったら、未完の大作「明暗」のラストが生まれたのかと、色々考えてしまいます。

つぎは花巻出身、宮沢賢治。

賢治はそばと三ツ矢サイダーが大好きで、一緒に注文していたそうです。色々と風変りだったと言われる賢治らしい組み合わせですね。個人的に「そばとサイダー」のペアには勇気が必要です・・・・

そばとサイダー

当時、天ぷらそば一杯15銭に対し、三ツ矢サイダー(三ツ矢シャンペンサイダー)は1本23銭と高級品でした。教師をしていた賢治は、大好物の天ぷらそばと三ツ矢サイダーを、教え子たちにご馳走したそうです。なかなか気軽に口に出来なかった三ツ矢サイダーを飲んだ子供たち。とても心が躍ったことでしょう。賢治と教え子たちの温かい情景が浮かびます。

参考までに

賢治のお給料は、1921(大正10)年12月の就職時で「八級俸(80円)」、退職前の1926(大正15)年3月には「五級俸(110円)当分105円支給」だそうです。

炭酸飲料と言えば、はずせない「コーラ」

コーラについての記述をしている文豪は高村光太郎です。

日本に正式にコカコーラが入ってきたのは1920(大正9)年ですが、それよりも早い1912年(明治45・大正元年)には、光太郎は『狂者の詩』と言う詩篇の中で「コカコオラ」「コカコオラもう一杯」と言う二編の詩を残しています。

光太郎はなぜコカコーラを語ることが出来たのでしょうか?彼は1906(明治39)年にニューヨークへ留学。その後イギリス・フランス・イタリアなどを1909年の帰国まで3年掛けて周遊しているのです。その間、どこかで日本にはまだなかったコカコーラを飲んだのでしょう。光太郎の詩が日本で一番古いコカコーラに関する記述となります。

およそ20年後、1925年(大正14年)に作家・芥川龍之介が修善寺にて、小説家・佐佐木茂索宛に送っている手紙の一部にも、「コカ・コーラ」について触れた文面があります。

「酒飲まぬ身のウウロン茶、カフェ、コカコラ、チョコレート……。」

当時のコカコーラは薬のような味だったそうです。ウーロン茶・コーヒー・チョコも今とはかなり違った味で、もしかしたらお酒よりもはるかに刺激的だったのではと、想像してしまいます。

日本人で、初めてビールを飲んだ人は?炭酸キングはやっぱりビール!

1724(享保9)年にオランダからの使節団が江戸へやってきました。将軍吉宗へ献上した品々の中に「ビール」があったそうです。江戸幕府 八代将軍 徳川吉宗が日本のビールのスタートを切ったのです。さすが暴れん坊将軍!

さて、吉宗公はビールを どのような状態で飲んだのでしょうか?冷蔵庫が無い時代、氷で冷やしておいたのでしょうか?それとも常温だったのでしょうか?杯で飲んだのでしょうか?

100年以上の時が経ち、明治の時代になると「ビヤホール」の時代がやってきます。

麦

1899(明治32)年、現在の銀座に初のビヤホールが誕生すると、一杯売りのビール専門店として大繁盛!瓶ビールがまだ高価であった時代、一杯5~10銭で手軽に飲めるビアホールは大衆に歓迎され全国に広まっていきます。

文学者の正岡子規は、最後の作品『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』の中で、「自分の見た事のないもので、ちょっと見たいと思うもの」の一つに「ビヤホール」を、あげています。子規は結核を患い、晩年の7年間は病床で過ごし外出もままならなかったそうです。

子規が元気だったら、ビールやビヤホールをどんなふうに詠っていたのでしょうね。

参考までに

この時代の 1894(明治27)年の公務員の初任給は50円、1901(明治34)年の瓶ビール・大瓶は19銭、1902(明治35)年のカレーは5~7銭 だそうです。

さいごに

開国後、明治・大正時代には海を越えてたくさんのものが入ってきました。文化人と呼ばれた人たちが新しいものを取り入れる速さに驚きます。

当時の人たちが今の炭酸飲料を飲んだらどんな感想が聞けるのか。そんな想像をしてしまいます。中でも将軍吉宗公にはのど越し爽やかなビールを飲んで欲しいです。きっと「もう一杯!」と返ってくるに違いないと思っております。